友人達と懐かしの映像を見た。
もう10年近く前の作品達。
大学生になった年、私の何かは変わった。
自分でバイトをして、それを宝塚歌劇団のチケットを買う。
自分が頑張ればたくさん見れる。
それが当たり前だったし、とてもあの日々は充実していたと思う。
贔屓を追っかけて西へ東へ。
博多も中日もある意味ホームだ。
終電を間に合わせるために走ったことが何度あったことか、
1ヶ月の半分は西にいることもザラにあった。
贔屓のW主演の公演
死ぬほどバイトをして全部の公演を申し込みをした。
セリフが変わったのも全て見届けたかった。
ひと夏の思い出。
レモンの味…とかではなく、合宿所生活みたいな友人達とのシェアハウスを思い出す。
今では、私の贔屓なんて見たことない人がほとんどじゃないか?という人達が絶賛する公演がある。
その演出家の先生はとても台本を書くのが遅かった。
初日から毎日通った。
毎日セリフが違かった。
贔屓に毎日その話をした。
え?よく気づくね?私より詳しいんじゃない?って言われたのを思い出す。
その公演はガラガラで当日Bでみると、まるで田舎のプラネタリウムに来たようだった。
その公演が大好きだった。
不満はたくさんある公演だったけど、大好きで何度も通った。
ストーリーが面白いかとかではないし、人気のキャラが贔屓だったからというのでもない。
多分、プラネタリウムのようなはじまりと、プロローグと、贔屓達のナンバーのために通ってた。
スターウォーズのストームトルーパーを見るたびに思い出す。
私はあの公演の映像を多分集中して全て見ることはもう無いと思う。みたいシーンは決まっているから。
先日みんなで見たショーもその時期ぐらいのショーだ。
主演ではないので真ん中には決して映像として映らない何かを見ようとしてる自分に驚いた。
あの時の立ち位置、拍手、贔屓のジャケットの裏地の色…
すべてが染み付いてるのだ。
何回も見る公演は上からも右からも左からも前からも後ろからも見ていたりする。
頭の中で多分、そのいろんな角度でみる贔屓が染み付いていた。
前の方で見た贔屓の目。拍手のタイミング、客席の熱気。
全てが。
私は、塩対応、いわゆるしょっぱいスターが好きだ。
ヅカヲタにもいろんな種類がいる。
ガチ恋❤️みたいなのもいれば、盲目●●様系、子供のように見ているオカン系、
この宗派が合わない人達とは、距離を取ることしかできない。
なので、贔屓にファンサービスを期待したことはほとんどない。
客席からただ、この人を見ていたい、その気持ちでファンをしていた。
根底にその人を好きだという気持ちは忘れてはならないけどある程度のことはネタにできる楽しいファンでいたい。
やはり、観劇は生が一番。
舞台が生物だということをコロナ禍において伝えたい。
映像にはない何かを受け取れる、それが一番最後に残るものだったりする。
劇場の匂い、客席の熱気、ざわめき、拍手、
舞台を見た後に、友人と何を食べたか、季節、ふと懐かしくなる。
機会は自分で無理矢理作っていくものだと思うし、そんなことを思う2020忘年会(仮)であった。