悪いことがしたい、いい子でいたい

痩せたいけど、美味しいもの食べたい。貯金したいけど、観劇もコスメも我慢したくない。ゴロゴロしたいけどどこか遠くへいきたい。

ノートルダムの鐘

KAATまでノートルダムの鐘を見に行った。

初ミュージカルの人を連れて。

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てっきりアニメ版は見たことがあると思ってノートルダムの鐘を選んだのにノートルダムの鐘を見たことないらしく、なんの話?と聞かれ開演前に不安になる私。

せむしおとこカジモドが、エスメラルダというジプシーと出会い、初めて人間の友達ができて、恋をして、カジモドのことを怪物って呼んでるフロローの方が怪物だよみたいな話だと説明をする。これが通じたのかはわからない。

初ミュージカルの人になんでこんな暗い演目を選んでしまったのだろうなんて考えつつ、アラジンとかの方が良かったかなあって…。

 

人間と怪物どこに違いがあるのだろう?

 

あーあーあ!のプロローグ、ノートルダムの楽曲だけで私はうるっときた。アニメと違い、四季のミュージカルはフロローの弟が出てくる。遊びが大好きで勉強嫌い、ジプシーを兄の誕生日に連れ込む、神の道に背いた弟をフロローは神父様に告げ口をして追い出されてしまう。

そんな弟がジプシー女と作った「罪の子」がカジモドなのだ。罪の償い、神から与えられた試練としてカジモドを育てる。

カジモドの、意味は出来損ない。

 

アニメ版だとジプシー狩りをしてるフロローがカジモドの母を殺してしまい、司祭様に止められて井戸に捨てようとしてた醜い赤ん坊を神の怒りを恐れて育てていたはずだ。

 

四季版のフロローは、アニメ版に比べてカジモドを理由があって閉じ込めているように思えた。

聖人の話をして、教育をし、ここはサンクチュアリ、聖域だと教えるフロロー。まるで親子のような。私はここでファントムのエリックとパパを思い出した。エリックも外には向かない容姿だから傷つけないように

 

エリック 私の愛しい子よ かけがえのない宝物

生まれた時からずっと 守り続けてきたんだ

 

同じく民衆の目からカジモドをフロローは守ってきた。その言いつけをカジモドは破ってしまう。

民衆はカジモドの醜さに恐れおののく、そこを救ってくれるのがジプシーのエスメラルダだ。エスメラルダは自分も弱者というジプシーの立場にいても何にも屈さない。私なら大丈夫、他の弱き者を救わなきゃという強い女性だ。

炎のような女性に、フィーバス隊長もカジモドもフロローも一目で惹かれていく。

 

毎回ミュージカルはどの役をやりたいかを考えながら見るけどエスメラルダはやりたい役。

でも私がエスメラルダならなぜフィーバス惹かれるのかピンとこない。

女なら誰でも惚れる容姿だから…?

 

私の精神はカジモド寄りだ。

初めてカジモドにとって触れた女性だったのだろう、『天国の光』の歌詞

 

愛に満ちたあの光に憧れていたけど
僕は醜いから 諦めてたんだ でも
天使が 微笑みかけて この顔に触れたんだ
好きになってくれたのかな

今夜この場所は
天国の光で
明るく見えるよ 

 

恋に落ちたカジモドは他の人となんも変わらない、化け物ではなく人間が人間に恋に落ちる。

自分も闇ではなく光に包まれるそんな予感がする。

 

でもそれは夢物語でしかなくて、友人として好きという残酷な宣告をうける。彼女はフィーバスを愛する、それがわかった後

 

愛に満ちたあの光に憧れてたけど
僕は醜いから あきらめてたんだ…

 

私は号泣した。同じ歌詞なのになんでこんなに突き刺さるんだろう。

私は自らの容姿に自信がない。人に愛される自信も余裕もない。

美しい光は見ているから美しいんだと。

触れてはいけない。光は闇があってこそ輝くんだから。闇は光をに対して憧れ続けるしかないのだと。

でも光を知らなきゃ闇は闇だと気づかない。

 

知らないことがあるより、知る方が傷は深くとも成長ができる。そう信じて今日もまた私はエスメラルダに憧れ続けるのだ。

私もそろそろエスメラルダになってフィーバス隊長に出会いたい(笑)

 

あ、連れはよくわからなかってけど楽しかったと言っていた。ミュージカルってたくさん人が出てるシーン楽しいねって。

 

すっかり落ち込んだ私は中華街で餃子をたらふく食べたとさ

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