26歳の娘が、55歳の母を看取る。
ググっても出てこない。
どんなことが必要なのか、どんな気持ちになるのか、覚えてるうちにメモがわりにここに書こうと思う。少しでも参考になる人がいれば。
3月に余命10日ぐらいかもしれないと言われてから1ヶ月半。母は生きた。
私は母の前では泣かないと決めた。
とはいえ、ふとした拍子に涙は出てくる。
それでも私は母の前では泣かない努力をした。
余命10日の母に何ができるか、本人も余命は長くないのは気づいていたのだろう。
まず父と考えたのは、自宅で看取るか、病院のままかとのこと。
弟とも相談して、母のしたいようにしようという結論になった。
私も弟も大学生、ずっとそばにはいれないけど大丈夫かという相談を看護婦さんにした。
そしたら多分春休み中までのことになるだろうと宣言されて多分そんなことを悩まないでもいいと言われたのには驚愕した。
母は自宅へ帰るのを嫌がった。それは母はどのような気持ちで言っていたのだろうか。
病院だと何かあった時もすぐに看護婦さんが駆けつけてくれる、薬も在宅とは異なる薬が使える。今思えば母なりに気を使ってたのかもしれない。
余命宣告されたその日からロクシタンのボディクリームでマッサージをするのが、私の日課になった。
入院は暇だ、海外ドラマ見終わった!次何か面白いのがないかと言ってた母が動画をみる気力すら起きなくなってたのがわかった。
母を訪ねても寝てるばかり。
LINEも母からほとんど帰ってこなくなった。
黄疸が出て、母が母じゃないようになっていった。
余命宣告されてから10日後ぐらいから母は少し復活をした。腹水を抜いて、黄疸も胆汁を抜いて、手のむくみも無くなって。
母はジュースが解禁になった。
数ヶ月ぶりに味のするものを口にできた母は嬉しそうだった。今思えばもう長くないから好きなものをという配慮だったのかもしれない。
200ミリのジュースを買っていったら野菜ジュースだと買い直してこいとか、これはいらんからやるわとか。
この頃からこっそりアイスの実を食べてた。
母はミーハーだったし、スタバが好きだったから、私はいちごのフラペチーノを弟は別日にマンゴーのフラペチーノを買っていったりしていた。
「こんなのはダメなの」そう言いながら一口飲んだ、甘くて美味しいと母はとっても嬉しそうだった。
私は日頃のこととか取り留めのないことを母に話した。
私の彼氏が会いに来たいというのを断られたので、彼氏が母宛に自己紹介、動画を作ってくれた。
それを見せたらすごく嬉しそうだった。
母の弟、叔父にもその動画を嬉しそうに見せていたそうだ。
彼氏とどこか出かけるたびにGO PROで動画を撮って母に見せた。母は食べすぎとか楽しそうとか色んなことを言いながら嬉しそうに見ていた。
毎回病室から帰るたびにこれが最後の別れだったらどうしようと思っていた自分がいた。この頃、夜に携帯が鳴ったらどうしようと不安でしょうがなかった。
母は最後の方に「毎晩寝る時にこのまま目が覚めなかったらどうしようと思って寝るのが辛いんよ」と言っていた。
母が死に近づいていってるのはだれにも明らかだった。
「もうちょっと一緒におってよ」とか、「することがないのは辛い」とかそんな弱音を吐いてるのを聞いたのは数回しかない。
じゃあなばぁい!!またね!って握手して笑って私はいつもお別れしてた。
またねっていい言葉、またねって使いたい。
気づけば今日、5月12日は母の日。
毎年我が家は母の日ケーキを買ってたね。
今年は母が好きだったハーゲンダッツを食べました。